「将軍たちの夜」(米/1967年)

◇主演ピーター・オトゥールオマー・シャリフ、音楽モーリス・ジャール、制作サム・スピーゲルの戦場映画―――「アラビアのロレンス」再び、とでも言いたげな布陣である。だからこそ期待しすぎないように気を付けてはいたのだが、予想外の方向でもどかしい思いを味わう羽目になった。この映画、ともかく惜しいのだ。「アラビアのロレンス」の域には到底及ばないにしても、その年を代表する10本に入るくらいのポテンシャルはあったように思われてならない。だが要所要所で詰めが甘いために、せっかくの素材も活かし切れず、佳作手前で留まってしまっている。

 

◇本作はナチス将官3人をめぐる1つの連続殺人事件と1つの陰謀を描いている。こう書くといかにもミステリーらしいが、観客は早々に真相を察してしまうので、謎解きの快感はない。しかしそれは作り手の意図した通りだ。問題なのは、映画が目指していたであろうサスペンスの魅力が欠けている点である。ただ漫然と画面を眺めているだけでも、死地を生きているはずである登場人物たちの杜撰な行動が、幾度となく目につくはずだ。これでは緊迫感も何もあったものではないうえに、物語のリアリティまで大幅に損なってしまっている。かようにサスペンスが欠落しているうえに、人間劇としても手薄だ。よりによって主演の二人を「アラビアのロレンス」に重ねる形で陰と陽に配置してしまったせいで、余計にキャラクター描写の貧弱さが際立ってしまている。せめて配役を逆にしていれば、面白みが出たかもしれないのに!

 

◇しかし寓話として見始めた途端に、この作品は現代でも褪せない輝きを放ち始める。街の破壊に師団を動員する力を持ちながらも、己の劣情を抑える自制心すら備えない男の矛盾。そんな男が国に身を捧げる軍神として祭り上げられる皮肉。加害側にいた過去を忘れて、被害者を相手にぬけぬけと懐旧談に興じる恥知らず。戦争が生み出す夥しい死者にも、時代の変動にも目をくれず、数名の女性のための「真実」だけを追う愚直な正義が行きつく先。この映画で描かれているものは、我々の過去であり、現在であり、未来でもある。人間が愚かであり続ける限りは。この作品が優れた問題意識を作品へ落とし込むことに成功しているからこそ、物語としての脆弱さが返す返すも残念でならない。普遍的なテーマを備えたサスペンスや人間劇の傑作が数多くある以上、この映画はやはり「あと一歩」という感想なのだ。ちなみに本作が作られたタイミングには、ある出来事があったのではないかと思ったのだが、一応結末部分に触れるので脚注の形で触れておこうと思う*1

 

◇ここからは鑑賞済みの人向け。この映画で一番古臭く感じてしまうのはゴッホの自画像と見つめ合ってガクガクし始めるタンツ将軍ではないだろうか。異常心理はこの作品の時点ですら流行遅れだったような気がするのだが、ともあれ安易にブームに乗っかるものではない。ところでこのシーンに何やら違和感を覚えたのだが、ゴッホの自画像の配色が違っていたようだ。恐らく炎(つまりは戦火)を連想させる絵にしたかったのだろうが、なかなか無茶をするものである。あの部屋の出入口にドガの「アブサン」が立てかけられていたのにはちょっと笑ってしまった。

 

将軍たちの夜 / 米 / 1967

監督:アナトール・リトヴァフ

キャスト:ピーター・オトゥールオマー・シャリフトム・コートネイ

*1:本作の制作年である1966年は、ニュルンベルク裁判で最も長い有期刑を科せられた戦犯が出所した年だ。きちんと調べてはいないが、当時は話題になったのではないだろうか。この作品は恐らく当時の人々にとってタイムリーだったはずだ。ラストの歓迎会の模様も、(主催は全く逆陣営とはいえ)この時に釈放されたアルベルト・シュペーアに対する歓待を連想してしまう。本作に登場する将軍たちの戦後は、複数のナチ戦犯を振り分けたかのようである。