「英国万歳!」に見るポルフィリン症

 英国王ジョージ三世の錯乱をテーマにした映画「英国万歳!」を1か月ほど前にレビューした。

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 映画はジョージ三世がポルフィリン症を患っていたとする説に言及しており、実際にポルフィリン症の病態に即した描写をしているように見受けられることは、前回のレビューで述べた。その時はポルフィリン症についてネットで調べた知識しかなかったが、その後授業で学ぶ機会があったので、改めて「英国万歳!」を観てみることにした。

 今回の記事では「英国万歳!」がポルフィリン症をどのように描いたかに特化してみたい。まずはポルフィリン症について知るところを、簡単にまとめてみる。専門知識がなくてもご理解いただけるように書くつもりだが、病気自体に興味がなければ、下の目次から「映画を観直す」にスキップしてください。

 

 

ポルフィリン症はどのように起こるか

 ポルフィリン症はヘム*1という物質を作る過程に異常が生じる病気だ。

 ヘムを作る様子はライン生産を想像してもらうとわかりやすいと思う。ベルトコンベアー沿いに並んだ作業員たちが、次々に材料に手を加えていくことで、段々と完成形に近づいていく。この作業員たちは酵素と呼ばれるたんぱく質だ。材料がヘムになるまでには8つの作業があり、どの作業も担当の酵素にしかこなせない。この8つの持ち場のうち、1番目を除くどこかの作業場で酵素が働かなくなってしまうと、それ以降の作業がストップし、ヘムのなり損ないが溜まってしまう。ヘムなり損ない(のうちの一部)がポルフィリン。増えすぎたヘムなり損ないのせいで心身に不調を来すのが、ポルフィリン症だ。

 それではなぜ酵素が働かなくなってしまうのだろうか。まず遺伝的に酵素量が少ない場合が挙げられる。要するに人手不足に陥るわけだ。他に薬などの影響で酵素の働きが邪魔されてしまう場合もある。酵素が働かない理由によって、発症時期や治療方法が変わってくる。

種類と症状

 実はポルフィリン症は総称で、異常を起こした酵素の種類によって(つまり流れ作業がどこで止まっているかによって)更に細かい名前がつく。当然症状も変わってくる。特に重要なのは、作業が滞っているのが頭から数えて3番目以前の作業場か、4番目以降の作業場かだ*2。4番目以降の異常では、ヘムなり損ないが紫外線を吸収するようになるため、日光による皮膚障害が起こり始める。

 ポルフィリン症全体に共通する症状としては、神経障害が挙げられる。神経のダメージの結果、精神症状が出てくる。また筋肉への指令がうまくいかなくなるので、力が入らなくなったり、胃腸の運動に障害が起きたりする。次の項で映画に沿って改めて触れたい。

映画を観直す

 今回の鑑賞は二回目だが、冒頭5分で主要人物のほとんどが登場し、なおかつ描き分けもなされていることに気が付いて驚嘆した。この映画は王を中心にしつつも、様々な人物の思惑が入り乱れる群像劇にもなっているのだが、緩急のつけ方が巧みなので全く散漫にならない。手際がよく、かつ手の込んだ素晴らしい作品だと改めて感じる。

 王は映画開始間もなく乱心の兆しを見せる。最初に気になるのは、小ピットとの会話だろうか。アメリカに関する見解は理性的でなく、話題も飛びがちだ。初見時は王の尊大さの表れかと単純に解釈したが、今見直すと正常な時の王はもう少し筋道を立てた話し方をしている。

 癇癪で演奏会を中断させるエピソードが挟まれた後、夜間に激烈な腹痛を起こす。神経症状に加え、消化器の異常が始まったのだ。腹痛発作に襲われる直前、王妃は腹部膨満を指摘している。蠕動運動*3が正常に行われなくなった結果、内容物が溜まって、腹部が膨れたのだろう。侍医に処方された下剤を飲んだところ、腹痛は激化。大量の排便をする。この後も王が「大量に良い便を」排泄する描写が何度か出てくるが、ポルフィリン症の症状としては下痢もしくは便秘が典型であるようで*4、大量の排便について触れた資料は見つけられなかった。

 腹痛は一度収まるが、侍従たちは尿が青いことに気付く。尿の着色は、ポルフィリンが尿中に排泄されるために起きる。不思議なのは、尿の色が青だということだ。通常ポルフィリン症では、尿の色は赤系統になるとされている*5。確かにポルフィリンは紫外線(青い光)を吸収するので、赤く見えるはずなのだ。紫がかった尿になることはあるらしいが、日本語字幕が採用した「空色」という形容が当てはまる色調になるかは疑問が残る。

 行動の異常も続いている。懸念したピット首相らは公務を控えるように進言するが、王は聞き入れず、公衆の面前で皇太子に対する暴行事件まで起こしてしまう。更に大洪水や妻の不貞の妄想に襲われ、周囲を徹底的に引きずり回す。それでもふとした拍子に正気が戻り、「私は自分を見失っているだけだ。狂っているなら苦しまぬはず」と訴えるのが悲しい。

 ついに王は王妃からも引き離され、治療を受けることになる。しかし王宮の医師団が施した治療は吸い玉*6。当然効果が出るわけもなく、王は排泄のコントロールも利かない状態に陥ってしまう。見舞いに訪れたピット首相と庭で会うシーンでは、侍従に抱え込まれるようにして歩いている。筋肉が働かないことによる脱力だろうか。顔にはかさぶたのようなものも見受けられる。興奮時に負った怪我の可能性もあるが、日光による皮膚障害かもしれない。更に王は視力と聴力の低下を訴えている。非常に稀な症状のようだが、視力の低下については症例報告も見つけられた。神経障害の一つだろう。

 ここに至ってようやく、ウィリス医師が招聘され、治療に着手する。ウィリス医師の行う手荒な拘束は、時代を考えれば致し方がないとはいえ、非常にショッキングだ。この拘束には治療効果などなかっただろうが、医師は同時に生活指導を徹底し、恐らくはこちらが段々と功を奏し始める。というのも、ポルフィリン症の治療には禁酒と炭水化物の摂取が効果的とされているのだ*7。もっとも治療効果はなかなか表れず、(ポルフィリンを含んだ)黒ずんだ尿や(恐らくは日光による)首元の火傷の描写が続く。王の症状が長引いた理由の一つは、度重なる拘束のストレスかもしれない。だが王が隔離生活に適応し、医師に対しても信頼らしきものを寄せ始めた頃になると、言動が落ち着き、尿の色も正常に戻る。そして息子に乗っ取られる寸前だった王座に、辛くも返り咲くのだった。

 映画は大団円を演出して終わったが、史実によると王の病気は約20年後に再発した。実は映画から遡ること20年ほど前にも王は発病していたことが、作中の台詞から明らかになっている。ポルフィリン症の根本的な原因である酵素不足は現在でも治療法がないので、少ない酵素量で対処できなくなると再発してしまう。ウィリス医師が(あるいはピット首相が指摘した通り「時間」が)もたらした均衡が、20年の時を経て再び崩れてしまったのかもしれない。もちろん王の病が本当にポルフィリン症であったのか疑問が残るのも、以前の記事で書いた通りだ。ちなみに映画の20年後に病を得た際は、皇太子を摂政に就け、回復しないまま亡くなっている。

余談

 「ポルフィリン症患者がドラキュラや狼男のモデルではないか」との説が過去に提起されたようである。症状や日光を避ける生活スタイルが重なるという主張だ。これに対しアメリカ国立衛生研究所は、ポルフィリン症が伝説形成の過程で影響を与えた可能性は否定しきれないとしたうえで、①ポルフィリン症患者が血液を経口摂取しても症状は緩和されないこと②ドラキュラが最も流行った時期の目撃情報の多さはポルフィリン症の稀さと矛盾していることを指摘した。また民俗学の分野からも、伝承を正確に把握していない、患者への偏見に繋がるといった批判がなされたようだ*8。講義でこの説が話題に上った時は興味深いとしか思えなかったので、病気のスティグマ化に対してもっと敏感であるべきだと反省しきりである*9

*1:酸素を体中に運ぶヘモグロビンの一部になるなど、重要な役割を果たす物質。ちなみに血が赤く見えるのは、ヘムが赤いため。ヘムが赤い→ヘムを含むヘモグロビンも赤い→ヘモグロビンを含む赤血球も赤い→赤血球を含む血も赤い、という仕組み。

*2:専門的なことを言うと、4番目以降の酵素による代謝産物がポルフィリンだ。ポルフィリンは4つのピロールから成る環状構造を持つ物質の総称。4番目の酵素が環状構造の閉鎖に働き、ポルフィリンになる。ポルフィリンになる前の段階の異常もポルフィリン症と呼ぶのは不思議な感じがする。

*3:食べ物を口側から肛門側に送る腸の運動。筋肉による運動なので、ポルフィリン症で障害が出る。

*4:急性間欠性ポルフィリン症 - 12. ホルモンと代謝の障害 - MSDマニュアル家庭版

*5:基礎知識-どのような検査、診断が必要か?

*6:字幕ではお灸となっていたが、恐らくはわかりやすさを優先した意訳だろう

*7:ポルフィリン症はどのように起こるか」でも述べた通り、ポルフィリン症はヘムのなり損ないが溜まる病気だ。極力ヘムなり損ないを溜めないためには、①ヘム作りを止める②始まったヘム作りが滞らないように原料を十分に供給するという二つの手段が取れる。それぞれ説明すると

①ヘム作りの最初のステップにいる酵素(ALA合成酵素)を邪魔して働かなくしてしまえばいい。炭水化物はこの酵素を邪魔する。

②ヘム作りに使われる原料は、お酒の分解にも使われる。だからお酒を飲んでしまうと、原料の奪い合いが起こることになる。飲酒を慎むことで、原料をヘム作りに回してやる。

よって炭水化物の摂取と禁酒はポルフィリン症改善に有効であるとされている。

*8:英語版Wikipediaより

*9:もっとも医学部の講義でこのような説が話題になること自体は問題ではないと思う。伝承を理由に患者を差別しないための知識を授けられる場であり、スティグマ化対策はされているからだ。