ザ・プリズナー(英/1955)

◇どうやら本作、日本では劇場未公開らしい。確認した範囲では、現在もAmazonがVOD配信しているのみだ。恐らくほとんど人目に触れていないのだろうが、あまりにも勿体ない。日本語の作品情報もほぼ見つからなかったので、布教を兼ねて、今回は簡単な紹介から初めてみようと思う。

 

◇最初に一つだけ強調しておきたい。Amazonの解説には「拷問」「残酷な行為」といったワードが出てくるが、本作における物理的な暴力の描写は2時間ドラマのレベルである。暴力描写の過激さで問題作になったわけではないので、そこで足踏みされた方は安心して視聴してください。Amazonの解説が間違っているわけではないのだが、誤解を招きそうなので念のため補足しておく。

 

◇本作はブリジェット・ボーランド*1の舞台劇を下敷きにしている。登場人物は複数人いるが、アレック・ギネス演じる枢機卿とジャック・ホーキンス演じる調査官による「ほぼ二人劇」と言ってしまっても差し支えはないだろう*2アレック・ギネスは舞台でも同じ役を演じており、思い入れが深いようだ。物語は架空の共産国家で枢機卿が逮捕されるところから始まる。かけられた嫌疑は国家反逆罪。声望高い枢機卿の影響力を恐れた当局による濡れ衣だった。尋問の第一人者である担当調査官はすべてを承知の上で、枢機卿に嘘の自供を迫る。しかしレジスタンスの闘士として鳴らした枢機卿もさるもので、あの手この手で繰り出される攻撃にも屈しない。取り調べが長期に及ぶにつれ、二人は互いの人生に深く踏み込んでいくことになる…。Amazonの解説でも少し触れられているが、ヴェネツィア映画祭では反カトリック的、カンヌ映画祭では反共的だとみなされ、上映禁止の憂き目にあった。おまけにアイルランドでは「容共的だから」上映禁止になったという傑作なオチまでついている。*3

 

◇作品を巡る物語が時局にどっぷりと浸かっていたのとは裏腹に、時代や政治はこの作品においてあくまで背景でしかない。話の軸は枢機卿の過去の遡及と人間性の深化であり、それに浸食されていく調査官の変化である。雑に括ってしまうが、人間のあり方という普遍的なテーマに焦点を当てているからこそ、この作品の語りは今なお古びないのだろう。伏線を回収しながら枢機卿の人生が徐々に浮かび上がっていく展開や、最後の最後まで意外性を見せるプロットの妙は、ミステリーとしても出色かもしれない。

 

◇この映画はアレック・ギネスを検索していて見つけた。ファンを名乗るほどではないが、底知れない人物に説得力を与えてくれる彼の演技が好きなのだ。この作品で彼が演じる枢機卿も、私の目には底知れない人物と映った。この映画では浄化が重要な意味を持っており、形を変え反復して描かれる。たとえば序盤のうちに枢機卿が手を洗う場面が二度出てくる。一度目はミサの最中、二度目は拘置所についた直後だ。当初は聖職者としても俗世においても潔白であることの表現かと考えるのだが、後に彼の口から幼少期の思い出が語られることで、観客はこれが彼の人生に深く根差した個人的な行為であることを察する。また疎遠な母親との再会を契機に精神的に持ち崩しつつあった枢機卿が、独房に設えられた階段を一心不乱に磨くシーンも出てくる。彼がその行為に向かった必然性は、後の階段にまつわる打ち明け話から明らかになる。枢機卿を突き動かす強迫観念じみた浄化への衝動を見ているうちに、この映画の苦難もまた、彼が聖職を選び取った時から始まった浄化の一幕でしかなかったのではないかと思い至る。自身に一点の曇りも許さず、全てを擲ってまでその魂の完成へ向かう彼のありようは、自堕落な私からすると高潔なる異形だ。それでもアレック・ギネスは苦悶や恐怖の表現で共感の余地を作り、あくまでも人間の物語であることを思い出させてくれる。

 

◇話は横道にずれるが、この作品を検索していたら「プリズナーNo.6」が何度も引っかかった。確かに原題も同じ、制作国も同じだ。アクションとSFの要素を持つ「プリズナーNo.6」と会話劇の本作ではテイストが全く違うが、一体自分は何を見せられたのだろうと観客に考えこませる作風は共通しているので、どちらかが気に入った人はぜひもう一つのThe Prisonerにも手を伸ばしてみてほしい。

 

ザ・プリズナー/英/1955

監督:ピーター・グレンヴィル 出演:アレック・ギネス、ジャック・ホーキンス

ザ・プリズナー(Amazonビデオ)

*1:オードリー・ヘップバーンヘンリー・フォンダが出演した映画「戦争と平和」(1956)の脚本家でもある。

*2:二人劇以外の部分は蛇足に感じることが多く、特にあるカップルのサイドストーリーは作品の弱点になっているとさえ思う。

*3:英語版Wikipediaより