バッファロー'66(米/1998)

◇冒頭でこんなに引き込まれた映画はここ最近でちょっと思い出せない。いきなり登場する子供と愛犬の写真に意表を突かれているうちに、全面灰色の背景に白字を抜いただけの簡素なクレジットロールが始まる。紙芝居のようなクレジットが終わると、大写しの刑務所に切り替わる。画面全体がクレジットを模倣するような寒々しい灰色で、これが映画全体を貫く色調なのだろうと視聴者に予感させる。物語に釣り込まれる見事な導入だ。

 

◇刑務所から身一つで現れる一人の男。男は行き場に困った様子で、しばらく刑務所から立ち去ろうとしない。看守に追い立てられて街中へと出てみても、帰る先は息子の所在も知らない両親の元だけ。男は母親に帰宅を知らせる電話で、いもしない妻を連れ帰ると約束してしまう。男は通りがかりの女を攫い、両親の前で妻のふりをしろと脅迫する。女は男に言われるまま、妻として家族の団欒に同席するうちに、いつしか男に心惹かれていく……ようなのだが、女がどうして男に共感を寄せるようになっていったのか、私にはいまいち読み取れなかった。演じるクリスティーナ・リッチのせいではない。描写が著しく男側に寄ったこの脚本で、女の言動に納得するのは土台無理だ。「被害者はなぜ逃げなかったのか」と公然と問われる世の中にあってこの作品の描写には危うさを感じるし、特に作品の後半は女の男への感情が物語を大きく変えていくことを考えると、女の感情に説得力がないことは物語上の致命的な欠陥と言えるのではないだろうか。

 

◇しかし致命的な欠陥を補うユニークな魅力も随所に感じられた。たとえば作り物めいた女とは対照的に、男の造形はやけにリアルだ。息子よりフットボールが大切な母親、男そっくりの理不尽で暴力的な癇癪を爆発させる父親、良い思い出と呼べそうなものは一つとない回想シーン。男の恵まれない来し方を想像させる全てに血が通っていて、男のキャラクターを肉付けしている。この作品の最大の魅力は演出にあると思うのだが、回想シーンがまるでひと昔前のホームビデオのように挟み込まれるのも面白い。この作品には目新しい演出が多かったが、単に珍奇に走っているのではなく、シーンの意義を補強する役割を果たしているので、見ていて違和感を覚えない。物語の根幹を受け止めかねながらも、最後までついていくことができたのは、この演出のおかげだろう。

 

◇ここからはネタバレ。男は自分の過去についてもっぱら誇大妄想じみた嘘ばかりを語るので、真実は主にホームビデオ仕立ての回想シーンによって描かれることになる。だが終盤になってようやく、男は女に苦い過去を打ち明けることができる。この後登場するホームビデオ仕立てシーンはたった一度、刑務所送りの原因(と思い込んでいる)を道連れに死のうかと逡巡する男が、自分の墓の前でもフットボールに興じ文句を垂らすばかりに両親の姿を想像する場面だけだ。男の告白で回想シーンは役目を終えたのだろう。男は同じフレームで未来を覗いて、自分に愛を注いでくれなかった両親と決別する。自分の悲劇を憐れんでいた男が、不毛なロマンティシズムから抜け出し、新しい一日を選び取ったのだ。ここに至って、ようやく演出の必然性を確信できた次第。男と女が抱き合うラストカットはいかにもいびつで、二人の未来や幸福が約束されたものではないことを感じずにいられなかったが、何はともあれ踏み出された一歩に希望を抱きたくなる結末だった。ケチもつけましたが、練り込まれたいい映画です。

 

バッファロー'66 / 米 / 1998

監督:ヴィンセント・ギャロ 出演:ヴィンセント・ギャロクリスティーナ・リッチ