「身体はトラウマを記録する 脳・心・体のつながりと回復のための手法」ベッセル・ヴァン・デア・コーク著/柴田裕之訳/紀伊国屋書店

◇トラウマ研究の大家である著者が自身の半生と重ね合わせる形で、トラウマ研究・治療の進展を振り返る大著。トラウマの「再発見」の経緯から、様々な治療法の(刊行当時の)最新情報に至るまで、この一冊でトラウマについて現在押さえておくべきエッセンスの全てが網羅されているのではないかと思えるほど内容が濃い。それでいて医学的知識に乏しくても付いていくことが十分に可能な難易度は保たれている。プロローグで著者自身が「手引きとしてだけではなく、一種の呼びかけとして」執筆したと述べているように、広く社会に向けて書かれた本であることがよくわかる。

◇最も強く印象に残ったのは、トラウマを理解するためなら必要なことは何でもする著者のバイタリティと柔軟さだ。眉唾に思える治療法でも教えを請い、自らの手で検証する。どこへでも赴き、医療の枠を超えて様々な人と協働する。患者の反応に注意を払い、想定を覆されれば予断を修正する。ある分野のトップランナーになる人の姿に(決して自分が目指せるものではないとしても)大きな刺激を受けた。

 以下は本書の内容をざっとまとめた自分用の覚え書き。

 

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ワルシャワの悲劇/神父暗殺(米・仏/1988)

◇本作はビデオスルー作品で、円盤化もされていないようだ。この作品を監督したアグニェシュカ・ホラント監督の「オリヴィエ・オリヴィエ」を話題に出したのがきっかけで、運良く知人に見せてもらえたのだが、そういった伝手抜きだと手軽には見られない状態かもしれない。

 

◇この作品は1984年にポーランドで起こったイェジ・ポピエウシュコ神父暗殺事件を描いている。ホラント監督は元々ポーランド出身で、映画冒頭に発生する1981年末の戒厳令を機に西側へと移り住んだようだ。事件からわずか4年後に公開されたとあって、観客に事件経緯やポーランドの国情が共有されていたのか、世界史的な説明は乏しい。鑑賞前に「連帯」に関する最低限の知識くらいは仕入れておいた方がいいだろう。

 

◇この作品では殺す側の秘密警察職員と殺される側の神父の両方に焦点を当てている。だがどちらの描き方も中途半端で、彼らが何に殉じたのかが胸に迫ってこない。思考を辿れない言動も多い。たとえば神父が「敵を憎むのはやめた」と宣言するシーンがあるのだが、何がきっかけでそう思うに至ったのかが読み取れなかった。これほど重い決断を下そうとしているような素振りも見せていない。唐突に飛び出してくる「敵を憎むのはやめた」という発言は、しかるべき重みを伴って響いてこなかった。脇役も含め、ともかくこの作品にはこの手の飛躍が多い。人間ドラマとしては雑、結末が明白なのでサスペンスとしても楽しめない。神父の民主化運動における貢献ももっと描写の余地があったはずで、同時代性ゆえの情報不足なのかもしれないが、歴史映画としての意義も乏しい。ホラント監督らしい目を引かれるカットもあるし、全体として話を無難にまとめてはいるものの、何をしたいのかがよくわからない作品だった。

 

◇神父のことを調べていたら、カトリック教会の記事を見つけた。神父の活動ぶりが記されていたので、少し引用させてもらう。

1981 12 13 日、共産主義政権は戒厳令を布いて、多くの「連帯」の活動家を逮捕し、その他に対しても、嫌がらせと報復の政策を実行しました。ストライキを行った多くの人が職を失い、家族を養えなくなりました。また、路上で暴行を受け、置き去りにされ死に至る人々もありました。 ポピエウシュコ 神父は、戒厳令によって苦しめられている家族を支援する、福祉プログラムの中心人物となりました。

 

神父は、「連帯」の活動家たちの裁判に几帳面に出席し、囚われている人たちが、自分たちは忘れられていないと分かるようにと、家族と一緒に法廷内で目立つように座りました。すべての囚人とその家族を祝福する目的で、国のためのミサを毎月挙げるというアイデアを思いついたのは、法廷でのことでした。それは、政治的な宣伝ではありませんでした。 ポピエウシュコ 神父は自分の修道会に、宣伝用の横幕を掲げたり、スローガンを叫んだりしないで欲しいとはっきり頼みました。彼の、母国のためのミサは、ワルシャワだけでなく、ポーランド中に知られるようになり、しばしば 15,000 人から 20,000 人の人々が集まりました。 ポピエウシュコ 神父は、変革は平和裡にもたらされなければならないし、また平和のしるしは、国のためのミサのたびに、最も強く心に訴える瞬間の一つになると力説しました。 *1

こういう描写にもっと力を入れた方が、ポーランドが失ったものの大きさを感じられたと思うんだけどなあ。悪い作品ではないけれども、ビデオスルーもやむなしか。

 

ワルシャワの悲劇/神父暗殺 / 米・仏 /1988

監督:アグニェシュカ・ホラント

キャスト:クリストファー・ランバートエド・ハリス

「DNA鑑定は万能か その可能性と限界に迫る」赤根敦著 / 化学同人

◇DNA鑑定に対して漠然とした信頼を寄せている人は多いのではないだろうか。私自身にもDNA鑑定は既に完成された技術だという思い込みがあった。本書はこのような無邪気な期待に対する、DNA鑑定黎明期から活躍する専門家からの回答である。執筆のモチベーションからも、文章の端々からも、非専門家が抱く技術への妄信に、著者が歯がゆさと危うさを感じていることが読み取れる。

◇メインテーマは副題の通り「DNA鑑定の可能性と限界」だが、そのものを論じているのは全6章のうちの最後の1章に過ぎず、大部分はDNA鑑定の解説に費やされている。DNA鑑定と一括りにされている各種検査方法の紹介を軸にしつつ、高校生物レベルからの生命科学、DNA鑑定導入の歴史と意義、実際の活用事例、DNA鑑定に携わるためのキャリアプランにまで及ぶ解説は隙がなく、同時に平易明快だ。生物学の知識が乏しい(具体的にはDNAの説明ができないレベル)の読者にとっては情報量が多すぎて読みこなすのに骨が折れるだろうが、本書の理解に必要な情報はほとんど収められている。この一冊で完結できると思えば、苦労して読む甲斐もあるのではないだろうか。逆に分子生物学が得意な人であればサッと飛ばし読みできるボリュームである。

◇最終章に到達する頃には、読者も「DNA鑑定の可能性と限界」について何らかの意見や視点を持てるようになっているようになっている(はずである)。著者の見解も提示されているが、主張を通したいという欲求は希薄で、むしろ本書を通して著者の見解を正しく理解する知識が備わったかを確認されているように感じた。読者の思考を手助けするバランス感覚に長けた良書だ。

「ブロードチャーチ」シーズン1(英/2013年)

◇ミステリードラマは1話完結ものが多い。人気シリーズには「宿敵」ともいうべき犯人がつきもので、しばしばシーズンを超えて刑事たちの手を焼かせているが、彼らとて長期にわたり掛かり切りにさせるわけではない。本作は決して派手とはいえない単発の殺人事件を約6時間にわたって丹念に追った貴重な作品だ。普段はなかなか思いを馳せることのない、事件に否応なく巻き込まれた人々にとっての時間の重さを感じさせてくれる。

 

◇住民全員が顔見知りという小さな海辺の街・ブロードチャーチで11歳の少年が殺される。捜査に乗り出したのは街に赴任したばかりの警部補と、被害者一家と親しい地元育ちの部下だ。二人とも忍耐強く誠意をもって捜査に尽力する「良い刑事」だが、決して切れ者ではない。だから事件は行きつ戻りつを繰り返し、その過程で多くの人々のひた隠しにしてきた一面を白日の下に引きずり出すことになってしまう。秘密が暴かれるたびに、住民の間には疑心と対立が生まれる。捜査を開始した頃は隣人を疑うことに葛藤を覚えていた部下も、予想だにしない現実に直面して打ちのめされる。そんな部下に警部補がかけた言葉が、本作のテーマなのだろう―――「自分以外の胸の内なんて決して知り得ない」。多くの人にとって頭では理解していても、努めて見つめないようにしている真理ではないだろうか。だからこそこうして眼前に突きつけられると、よりどころをすべて断ち切られるようで、平静ではいられなくなる。本作では最悪の形で「知り得ない内心」が反復されるのだからなおさらだ。だが本作はただ視聴者を断崖に置き去りにするのではなく、孤独の中に取り込まれないための一つの解を提示している。そして最後にはささやかな「奇跡」まで用意してくれる。神の沈黙をテーマにした「処女の泉」とも重なるが、奇跡を起こすのが人間である本作の方が、私にとっては心強く、慰めを得られた。

 

◇ところで本作が本国で放送された際は、謎解きで大いに盛り上がり、放送したITVの歴代最高視聴率をたたき出したらしい。いかにもミステリー好きのイギリスらしくて面白い。地味でスローながら堅実に練り上げられた作品がしっかりヒットすることに羨ましさも感じた。

 

ブロードチャーチ / 英 / 2013

キャスト:デヴィッド・テナントオリヴィア・コールマン